網から板に

火で焼くことは昔から行われてきた調理法であります。

火と炭

食材を生のまま食べるのは現代社会でも珍しいことではありませんが、それは野菜 などそのまま食しても問題のないものに限定されます。 それは昔も同じことで、採れたてのピチピチなお野菜なら調理せずにパクパクと 食べていましたが、猪のお肉など生では危険な物は加熱してから食卓の上に並べ られるのが当たり前の光景でした。 いきなり鉄板焼きが出現したわけではありませんが、火を使う調理法は全然レア な技でもなく日本全国にかなり昔から普及していたのです。 どれくらい昔かははっきりとは知りませんが、火を利用する文明が現れたのと 近い時期からなのではないかと思います。 猟師が山中で野うさぎや野鹿などを捕まえている頃には当然あったでしょう。 いくら昔の人の方が体が丈夫そうだといっても、鹿の肉を生で貪っていたとは 考えられないからです。 胃腸が弱い人だっていたでしょうし食べられないものや食べにくいものを苦労 して捕獲しようとはしないはずで、調理方法が確立されているから猟師がそれらの 動物を捕まえていたと考えるのが自然です。 日本ではわりかし古来から火を利用してお夕飯や晩御飯を作っていましたが、 もともとは今のような鉄板を使ってはいませんでした。 鉄板がなかったからというのが一番の理由で、なにも「鉄板焼きよりもこっちの 方がおいしく愛情を込めてお料理がつくれるのよ」といった理由ではありません。 火で加熱するタイプの調理法も最初は直接火であぶっていただけで、食材と炎の 間には何も挟まずにいたのですが、その様子はお魚に串を刺して焚き火で焼いている 姿を思い浮かべればだいたいあっているかと思います。 鉄製品がない、あるいは貴重だった頃は今のように調理器具も充実していません でしたから、そんな風に焼くしかなかったのでしょう。 そのうち鉄が誰にでも入手できるようになると、やがて鉄の網の上で焼く網焼きが 流行の兆しを徐々にみせてきますが鉄板はまだ先です。 七輪に網を被せてそこでお餅やらお肉やらを焼くのが昭和時代の初期からは メジャーな調理法になっていましたが、これは使用する鉄の量が少ないからきっと そこそこに普及したのでしょう。 上で加熱できるほどの鉄板だと網の数百倍の重さがあるので、そこまで贅沢には 使うことがまだ許されない時代だったのです。 ではどうやって鉄板焼きが誕生したのか、実は調理用の板としてではなく鉄くず を利用したのが始まりのようです。 スクラップになった自動車などから比較的使えそうな所を取り外し、それを横に して下から加熱して上でいろいろと焼いたのが原型のようです。 戦後の闇市でそうした屋台が出現し、次第にみんなが真似したのでしょう。 網焼きだと肉汁がポタポタと落ちるのでそれはそれでいいのですが、たまには 食べ物そのものが落ちてしまうアクシデントも発生したでしょう。 でも鉄板焼きならどんなに小さなものでも落ちませんし、肉汁があったほうがいい 食材やお好み焼きのようなドロドロしたものならこっちのほうが勝ります。 それまでは網焼きの屋台しかなかったのですが鉄板焼きの出現で、屋台のメニュー もそうとう充実したのではないでしょうか。 少なくとも大阪を代表する料理のもんじゃ焼きなんかは、網焼きしかない時代には 屋台で販売するのはやや無理がありました。 ですがそんなに清潔とはいえないけれど鉄くずの鉄板を使用することで、粉物も 楽々安心に調理して販売できるようになったのです。 これが日本の鉄板焼きのルーツとされていますが、意外と海外ではあまりこの 調理法は多くないらしく日本を連想させるものだという話を聞いたことがあるので、 ひょっとしたらすごい大発明なのかもしれませんね。